ナイロビから

10月24日、ナイロビ空港では着く早々、マスクに割烹着、キャップを被った検査員がツーリストの体温を測っていた。タナからの便は小さかったのでツーリストの数も少なくイミグレーショんンもあっという間に通過、荷物もすぐ出て来て両替もいとも簡単にすぎ、ナイロビ到着から30分もしないうちにホテルの送迎の人の車に乗り込んだ。後で聞いたらオランダから来た友人たちはイミグレーションを通過するだけで1時間以上かかったよう。でも、ホテルに着くまではそれから1時間半かかった。さて、ホテルに着いてみると頼んでいたのと名前が違う。値段も予約内容も確認したが確かに合っている。結局、私達の頼んだホテルはその前日、水漏れで使えなくなり、急遽こちらに案内することになったとのこと。パソコンを見たら確かにマネージャーからこのホテルにアップグレードしたとのメールが入っていた。とりあえず一件落着。無事友人にも会えた。
10月25日。前日遅く着いたオランダからの友人に2年ぶりに再会。この日はまず、ナイロビの友人,俊さんがホテルに迎えに来てくれて、皆でツアー会社に行き、こまかい話を詰めて、その後ショッピングセンターで買い物。ナイロビ国立公園の裏のレストランでケニヤ料理を食べ、俊さんの家に行き、一休み。ホテルまで送ってもらった。帰りに野生のキリンを初めて見て、その大きさときれいな柄に感激した。

ナイロビの高級ショッピングセンター

地元で一番人気のケニヤ料理のレストラン

レストランのお姉さん。

ナイロビ国立公園でツーリストにジャンプしてみせるマサイ族
10月26日は、朝から,俊さんにキリン公園と像の孤児院につれていったもらった。密猟や、病気なでで親を亡くした子像を育てて森に返すプロジェクトをしている所。その後ショッピングセンターで食事して、明日の準備の為に早く帰った。
明日からは、オランダの友人美保さんとご主人のバルト、それに俊さんの5人で、グレートリフトバレーを北上しトゥルカナ湖まで行く10日間のツアーに出ます。その間ブログはお休み。帰って来たらまた,再会しますのでまた訪ねて下さい。

キリン公園のキリン

小象にミルクをやる。この孤児院には現在50頭の小像がいて咿啞までに200頭を育てて野生に返したそうだ。
10月27日。10日間のトゥルカナ湖ツアーに出発。

10月27日。いよいよ10日間のトゥルカナ湖を目指すキャンプツアーに出発。
ナイロビからアフリカ大地溝帯をトゥルカナ湖まで北上。さらに世界一暑いと言われるチャルビ砂漠の北をまわって南下し,カルデラ湖のあるマルサビット,サンブル国立公園に泊まりナイロビに戻るという全1800kmを走破するキャンピングツアー。

第一日目。ナイロビからニャフルルと言う標高3000mの峠を越えてマララルまで。約343km、10時間の旅。
朝、8時半のはずが9時半になってようやくホテルのゲートが開いてサファリカーが登場。今日は10時間の長距離ドライブなのに大丈夫だろうか。

1時間遅れでサファリカーがホテルに到着。ホテルは高い塀に囲まれていて、塀の上には電線が張られていて電流を流してある。警備員が,訪問者の顔と身分証などを確認してからゲートを開ける。

ホテルの塀の上の高電圧線
さて颯爽と車に乗り込んでホテルを出発したがナイロビは大渋滞。平日の朝と夕方は車は全く動かないとか。それでもなんとかナイロビを抜け車は一路北へ。アフリカ大地溝帯を見下ろす峠でちょっと休憩。アフリカ大地溝帯は、アフリカ大陸をを南北に縦断する巨大な谷で、幅35 - 100km、総延長は7,000kmにのぼるという。アフリカ大陸はここで東西に分かれていて、今のままで行けば、数百万年後には大地溝帯でアフリカ大陸が分裂するとか。サバンナらしいアカシアやユーフォルビアが見えだしてくる。

標高2140mの峠でアフリカ大地溝帯を見る。あまり広くてよく分からないけど、南北に広がる地溝帯を、東のふちから見ている。
あまりの広さに感激したとはいえ予定は遅れに遅れて、お昼の予定のニャフルルに着いたのはもう2時半。コックのアルフレッドが車からいすやテーブルをおろし、サンドイッチの材料を並べる。

お昼の準備をするコックのアルフレッド

お昼を食べた休憩所で見たカメレオン。始めみどりの草の上にいたので緑色だったが、木に登り始めたらどんどん色が変わって行った。
お腹もすいていたしおいしくランチを食べてその後近くにある滝を見て、ここを出たのはもう4時。いったい何時に目的のCamp地に着くのやら。結局マララルに着いたのは夜の8時半。
ここから同行するガードマンのフセインが私達のテントを立ててくれ,アルフレッドは急いで夕食のしたく。この日のメニューはトマトクリームシチューとスパゲッティ。これもおいしくいただいて、なんとか10時過ぎにはテントで寝ることが出来た。お湯の出るシャワーがあると言われたけど、もう疲れていてシャワーを浴びる気力もなかった。
この夜は何しろ“VeryCold Night"と脅されていたので,フリースに厚いズボン、ホカロンまで持って行ったがさほどのことはなかった。暑い気候に慣れた人にはこれくらいでもものすごく寒いのだろう。
10月28日。マララルからサウスホルへ。
10月28日。キャンプ2日目。マララルからサウスホルへ。この日は約144km。6~7時間の旅の予定。
朝食7時。前日は夜遅く着いたので,闇夜の中どんな所か全く分からなかったが、夜明けと共に鳥の声で目を覚ましテントの外に出ると、キャンプ場はいちめん緑で広くてきれいな所だった。
広場の外れにはらくだが囲いの中にいて、私達が起きる頃に、ちょうど放牧に連れて行く所だった。一息ついてから、テントをたたみ、昼のサンドイッチを作って出発。

2日目の朝 キャンプ場で見たRed-cheeked Cordon-bleu、セイキチョウ。 赤いほっぺが実に愛らしい 。

2日目の朝。この日から同行するガードマンのフセインと談笑するドライバーのカルンボ。手前の右が私達のテント。よく見えないけど写真中央の奥の茶色いのがラクダたち。
窓からはどこまでもサバンナらしいアカシアやユーフォルビアの木の点在する草原が続いて,見るもの何もかもが珍しい。

サバンナを代表するアカシアの木と手前は多分サイザル麻

窓の外にはアカシアとユーフォルビアの生えるサバンナがどこまでも続く

ユーフォルビアの林とそこを行くマサイ(?)族の人

樹形が実にユニークなユーフォルビア。サボテンの様に見えますが、トウダイグサ科の多肉植物です。

故障したトラックを抜いて行く乗り合いバス。

炭売りから買った炭を車に積み込むアルフレッド
途中で道端の炭売りからアルフレッドが炭を2袋買った。大袋一つで800ケニヤシリング。約1000円くらい。この辺りはとても炭がとても安いらしい。サファリ用に一つ、自分の奥さん用に一つだそうだ。
この日は比較的順調に4時頃サウスホル到着。山を下って行くと,大雨のときだけ水が流れる涸れ川がいくつもあって、それを渡って村に入って行く。サウスホルは二つの火山の間にあるオアシスで、びっくりするほど緑が多い。夕方で涼しい時間帯だったせいか、村中子供たちで溢れていた。
さて、なかなか趣きのあるアカシアの木の下でテントを張ろうとしたがどうも雲行きが怪しい。結局、キャンプ場の中の特大オープンガレージ見たいな屋根のあるものすごく広いスペースにテントを張ることにした。案の定いくらも経たないうちに大雨。村の子供たちが興味津々で集まってきた。実に人なつこい。小学校では英語も教えるらしく、ちょっと年上の子は上手に英語で受け答えした。
土砂降りの中、わずかな明かりの中で、屋根に感謝しながら食事。この日のメニューはナイルパッチという魚のムニエル。アルフレッドの食事は本当においしい。

ワジ(涸れ川)で遊ぶ子供たち。サウスホルで。水の勢いで木の根元の土が流されて,根っこがむき出しになっている。子供たちのいる平らな所が川底だ。

キャンプ場の木に巣を作っていたBlack-headed Weaver 。顔の黒い方が雄だ。ガレージの周りの巨大な木に、鈴なりにこの鳥の巣があった。

夕食の仕度を手伝うドライバーのカルンボ。買ったばかりの炭で夕食の仕度。
- 2014/11/28(金) 10:14:06| . お知らせ Notice | トラックバック:0 | コメント:0
10月29日。キャンプ3日目。サウスホルからロヤンガラニ(トゥルカナ)へ。

10月29日。サウスホルからロヤンガラニ(トゥルカナ)へ。この日は約91km。3~4時間の予定。
さて、ここでケニアの地図とツアーのコースを紹介しましす。

ケニアとその周辺国。水色が旅のコースです。

今回のツアーのルート。ナイロビからアフリカ大地溝帯の東の縁を北上し、マララル、サウスホルを通ってトゥルカナ湖まで行き、さらに北上、ノースホルから東にルートをとり、マルサビット、サンブルを通ってナイロビまで南下します。赤丸が通過した峠またはキャンプ地。数字は宿泊順です。
いつも通り7時朝食、テントをたたみ、お昼のサンドイッチを作って9時出発。幸い雨は上がって薄日が差していた。前日あれほど降ったのに、涸れ川には水の流れた跡はあってもほとんど水はなかった。ここからロヤンガラニ(トゥルカナ)へはケニアで最も乾燥した土地と言われるスグタ谷の東を通る。

キャンプ場にたくさんいたWhite-bellied Go-away-bird 。鳩より少し大きい鳥です。頭の冠が立派。

サウスホルの涸れ川。ほとんどの川は水がなかったがここはきれいな水が流れていた。サウスホルはほんとうに緑が豊。
South Horr is an oasis. Very green and comfortable.

アカシアの林の中に咲く デザートローズ

デザートローズの花 この花はイエメンのソコトラ島でもよく見た。向こうではボトルフラワーと呼ばれていた。

荷物を運ぶロバ。この地域ではロバや、ロバ車で荷物を運ぶ。
オアシスから離れるにつれ、緑が減り荒涼とした風景にかわって行った。丸くなった穴だらけの火山岩がごろごろころがる渇いた大地を延々と走り、やがてだんだんと道は下って行く。気温はぐんぐん上がり、朝着ていたフリースからチョッキから長袖シャツも脱ぎ、Tシャツになってもまだ暑い。

砂漠の風景
As leaving South Horr, the green disappeared, got hotter and hotter.
さらに進み、最後の丘を越えると、エメラルドグリーンのトゥルカナ湖がいきなり目に飛び込んで来た。とうとうトゥルカナ湖だ。あまりに美しいのでここでしばし休憩。風が強く、がんばって歩いてもついよろけてしまうほどだ。ここはいつも東から吹く風が強く、わずかに生えているアカシアも皆西側に傾いている。正面に全島国立公園の南島が見える。
数年前、俊さんがボートで南島に渡ったときは、あまりの強風に帰りのボートが出せなくて、やむなく島で一泊野宿したそうだ。
ここからは、トゥルカナ湖の南のはじにある、ほぼ完全な円錐形のNabiyotum Craterを遠くに見ることが出来た。残難ながらちょっとかすんでいたけれど。

丘を下り始めると目の前にいきなりトゥルカナ湖
Going down the slope, suddenly Lake Trukana appeared in front of us.

あまりに美しいのでここでしばし休憩。正面に見えるのが全島国立公園の南島。

トゥルカナ湖の南のはじにあるNabiyotum Crater。残念ながら空から見なければきれいな円錐形かどうかは分からないがそれでもきれいなカルデラであることは分かった。

トゥルカナ湖の周りはこんな荒涼とした赤い砂漠。熱風が吹き荒れる。
Trukana is in the middle of the red desert. The left side of this photo is the lake

坂道に止めた私たちのサファリカー。熱風の吹きすさぶトゥルカナ湖湖畔は,火山岩がゴロゴロした赤い大地でろくに草も生えない。ガードマンのフセインと俊さん。Our car. There is no shadow. Just volcano rock.

トゥルカナ湖畔の トゥルカナ族の村。
Village of Trukana tribe alongside the lake.

トゥルカナ湖畔で干魚をつくって暮らす人々。 湖畔の白っぽい点は三角形のネット。 この中で魚を干している
People living here catch fish, make them dry and sell them. The white points are nets to dry fish inside.

トゥルカナ湖畔で干魚をつくって暮らす人々と魚干し様のネット。強い日射しと強風で、魚はあっという間に干物だ。車の中で我々も干物になりそう。私たちの姿に気づいて、急いで干した魚を手に駆け上がってこようとした。
When they saw us, one guy grabbed fish and run towards us.
車は湖畔を進み、湖畔のキャンプサイトでお昼。Ganetracker(私たちがツアーを頼んだ旅行会社)の所有だが今は閉鎖して使われていないとか。ともかく風と日射しが強く、風よけと日よけのあるところでやっとお昼を食べる。

湖畔でランチを食べてくつろぐドライバーのカルンボとフセイン。
Lunch break.
お昼を食べて1時間弱で今日のキャンプ場に着いた。ここは2泊する。
ここではきれいな緑の芝の上にテントを張ることが出来た。温泉が出るので、ぬるめだがシャワーは温泉。と言うよりここでは水はすべて温泉だった。日射しが強く日なたに出ると何もかも煮えてしまいそうなくらい暑いが、一端ヤシの木陰に入るとそれなりに耐えられる。風が強くヤシの葉が風に煽られてごうごうなっていた。お茶を飲んであとは自由時間。まず3日ぶりのシャワーを浴びて、洗濯をした。洗濯物は薄いものは10分もすれば、ジーンズだって2時間もかからない。のんびりして後は町へ散歩に行った。

たどり着いたトゥルカナ湖畔のオアシスのキャンプサイト。 左が私たちのテント。
夕方はかなり涼しくなったが、着く早々にたててくれたテントは、日暮れまでさんさんと日が当たって、中にあるものすべてが暑い。当然夜になっても一向に涼しくならない。おまけに風に煽られたヤシの葉が台風並みにうなっていて、この風が少しでもテントの中にくれば良いのにと思いながらも、疲れていたのでそのうち寝てしまった。

トゥルカナ湖湖畔のオアシスの風景。

夕方のトゥルカナの村の風景。
Trukana village in the evening.
- 2014/11/20(木) 22:03:43| . Kenya(2014) ケニヤ旅 | トラックバック:0 | コメント:0
10月30日 トゥルカナ湖に連泊。

10月30日 トゥルカナ湖に連泊。
今日は移動なしなので、朝はゆっくり起き、ゆっくり朝食。

キャンプ場での朝食風景 左からナイロビ在住の俊昭さんと秀人 オランダから参加のバートと美保さん。
その後、トゥルカナ湖畔をさらに北上し、エルモロ族の村を訪れた。エルモロ族はケニヤ北部に住み、カバやワニを捕って暮らしていたそうだ。一時は人口が激減し、他の民族との融和をはかってなんとか絶滅は免れたが、そのためいまでは純粋はエルモロ人はごくわずかとか。いまは魚を捕って暮らしているが、ワニも時々捕るそうだ。

村は美しいトゥルカナ湖畔にあった。

トゥルカナ湖畔のエルモロ族の村。私たちは車を降りて歩くことにした。

湖畔のエルモロ族の村。家は茅か葦のような草で出来ているが、これは日を通さず風を通すので結構涼しい。家は結婚すると女性がつくるそうだ。

エルモロ族の人たちが漁に使う船。漁が終わると解体して日に干して乾燥させる。

湖の水を汲むエルモロの女性。トゥルカナ湖は塩湖でしかもフッ素分が多いので飲料には本来適さないが、他に飲む水もなく、皆この水で暮らしている。そのため、骨が変形し、歯が黄色くなってしまうそうだ。

土産物を並べるエルモロ族の女性たち。ツーリストが来ると(一日に多分一組か二組だが)女性たちが地面の上に彼女たちの作品を並べ始める。赤い輪っかのようなものはネックレス。

手前の木の台のようなものはエルモロ族が使っている枕。

民芸品を並べるエルモロ族の少女。たくさんネックレスをしているのは独身女性。ネックレスは必ず誰かからのプレゼントで,ネックレスが多いほど美人の証明らしい。

羊の毛を紡ぐ少女

家の中で。子供たち。後ろの青っぽいのは蚊帳。ベッドの上に座っている。家の中は,やはり葦の壁で寝室や台所、居間と分かれていてきれいに整頓されていた。

トゥルカナ湖畔で。ヤギを追うトゥルカナ族の女性。私達には分からないが、ヘアスタイルや衣装などで何族かはすぐ分かるそうだ。

トゥルカナ湖のフラミンゴ。トゥルカナ湖はフラミンゴがいっぱい。風が強くて飛ぶのが大変。

フラミンゴ。湖面は強風で波だっている。
エルモロ族の村から帰るともうお昼。今日はパスタ。午後はゆっくりして夕方は、俊さんの知り合いの女性のホテルに歌と踊りを見に行った。この辺りに住む四つの部族の女性だけで作ったホテルだそうだが、ケニヤの治安の悪化で観光客が減り、経営が難しいらしい。

盛装した北部遊牧民。三つの民族が来ているそうだがどの民族か覚えられなかった。

彼女はトゥルカナ族。一番上の茶色っぽいネックレスと皮のドレスは結婚式に使うものだそうだ。
その後トゥルカナ湖に夕日を見に行った。トゥルカナ湖は南北250km、東西は最大で40kmの細長い湖。広さは琵琶湖の10倍で砂漠にある湖としては世界最大。
夕方の水辺は、あいかわらずの強風だったが、涼しくて、あらためて、トゥルカナ湖は美しいと思った。遠くにいる大量の鳥の群れはフラミンゴだと思ったらなんとペリカンだった。

トゥルカナ湖のペリカン

夕暮れの空を悠々と飛ぶペリカン

顔が灰色のカモメ

トゥルカナ湖のサンセット。やっぱりトゥルカナ湖はいい。
10月31日 キャンプ5日目。トゥルカナからカラチャへ。

10月31日 トゥルカナからノースホルを経てカラチャへ。149km 約5時間この旅のハイライトの一つだ。
いつも通り朝7時朝食。テントをたたんで出発。トゥルカナ湖湖畔を北上しその後北東に進み、トゥルカナ湖に別れを告げチャルビ砂漠にはいる。

見る時刻、見る場所でトゥルカナ湖はその表情を変える。

遠くに見える白い点々のようなものが前日訪れたエルモロの村
White spots in the distance are El Molo village.

彼方にトゥルカナ湖を望む これでお別れ By by Turukana

道行く人。頭にのせているのは薪だ。
この辺りからカラチャまではラクダ街道と呼ばれ、そこかしこでラクダを追って移動するトゥルカナ族
に出会う。ラクダ、ラクダそしてまたラクダとそれを追う人々。Camel, Camel and Camel.

カラチャへの道は別名ラクダ街道 道はどこもラクダで溢れている
The rout from Turukana to Kalacah is called Camel street. Camels are everywhere.

道を埋め尽くすラクダ。ともかくラクダにどいてもらわなければどこにも行けません 。

道を埋め尽くすラクダ 右端にいるのがラクダ使い
日が高くなるにつれ気温はどんどん上がり、窓から入る風は乾いた熱風。干物になりそうなのでたまらずスカーフで顔を覆って風をよける。水を飲んでも飲んでも喉が渇く。暑さと強風で竜巻があちこちで起こり、遠くに蜃気楼が見える。

砂漠はあまりに暑くて遠くには蜃気楼 Extremely hot.

遠くには蜃気楼。ちょっと幻想的だ。
やっと木陰を見つけてお昼。

この炎天下を土地の人は薪を担いでこともなげにで歩く。
そして炎天下のノースホルヘ。ともかく暑い。ここはラクダのミルクのお茶が飲めるというろとなので、カフェに入ってティータイム。大きなカップの甘いくて熱いケニアンティーを一気に飲んでしまう。一杯50ケニヤシリング(約60円。)やっとひとごごちが着く。ラクダのミルクのミルクティーはちょっと薫製っぽい味がした。家の中も暑いが外も暑い。さすがのケニア人たちも日陰にいる。今日のキャンプ地カラチャまでは後1時間半位。

ノースホルのカフェ。ラクダのミルクのミルクティーをいただく
Tea Break at a cafe in North Hor. Take Tea with camel milk.

ノースホルの村で。 あまりに暑くて日なたに出れない。左から,お店のお姉さん、ドライバーのカルンボ、ガードマンのフセイン、村のお姉さん、みどり,バートとコックのアルフレッド。
さらに熱風の吹きまくる砂漠をいくこと2時間ぐらい。とうとうキャンプ場に着いた。殆んど葉のない巨木の下にテントを張り、即シャワー。日が強いのでシャワーの水が始めは熱湯になっているから気をつけて浴びる様に注意された。日が暮れればこれも冷たくなってしまうので、急いでシャワーを浴びる。確かに前日の温泉より熱い。ついでに洗濯もして、垣根の上に干す。日が当たればここでも洗濯物はあっという間に乾く。こんなに乾いた砂漠なのにきれいな鳥は結構いて、キャンプ場の大きな木にひっきりなしにやってくる。お茶を飲んで夕方砂漠へ日没を見に行く。

カラチャのキャンプ場で 再びティータイム Camp site at Kalacha

Lilac-breasted Roller 。きれいな小さい鳥。

Eastern Yellow-billed Hornbill かなり大きい鳥だ。声もやたら大きくてギャオギャオとうるさいくらいだ

チャブリ砂漠。さすがの砂漠も夕方は涼しい。この砂漠の向こうはエチオピアだ Chabri desert.

チャブリ砂漠の夕暮れ。

チャブリ砂漠の日没。この時間になるともう昼間の熱は全くなく風が涼しくて気持ちがいい。
さて、夜。殆ど日陰というものがないここでは、昼間の間に当然テントはさんさんと日を浴び、空気だけでなくマットも寝袋も暑い。外は涼しくなってもテントの中は風が抜けない。でも風が入る向きにテントを立てると飛ばされてしまうからそれも出来ない。あまりの暑さにテントを開けて外気を入れると少しだけ涼しくなる。そんなこんなでやっと少し冷えて来てなんとか寝た。
11月1日。キャンプ6日目。カラチャからマルサビットへ。

11月1日 カラチャからマルサビットへ。133km、約5時間の旅。
キャンプ6日目。10日間の旅ももう半分をすぎた。後はマルサビットに2泊、サンブルに2泊してもう次はナイロビだ。アフリカらしい動物はまだあまり間近で見ないが、サンブルに行けばいくらでもいるらしい。今日は道が良ければチャルビ砂漠を横切ってマルサビットに抜ける予定だったがやはり数日前の雨で砂漠越えは一部道がぬかって無理らしい。やむを得ず砂漠の北をまわるコースをとる。

Superb Starling きれいな鳥だが結構どこでもいる。

朝日の中で水を飲むSuperb Starling
今日は朝一番で村にあるカトリックの教会に壁画を見に行く。エチオピア人の描いたもので、描かれている人の顔もエチオピア人の顔だそうだ。カラチャはもうエチオピアに近く、住んでいる人もエチオピア系の人が多いらしい。
教会のそばには学校があり、ナイロビから来てここで先生をしている女性にあった。ここには普通の学校といわゆるボーディングスクールがある。この辺りの人々はは遊牧民なので親は砂漠の中を草を求めて旅する。子供たちの多くは寄宿舎付きの学校に入り、3ヶ月ごとの学期末になると、砂漠のどこかにいる親元に帰るのだそうだ。彼女は、この辺りは暑さ寒さが厳しく、本当に緑がないのでナイロビが懐かしいと言っていた。教会を後にマルサビットへ。

カラチャの村の教会

教会の中の壁画
途中丘の上からいちめんの荒涼とした砂漠を見た。赤い土と砂嵐以外以外本当に何もない。曇ったり晴れたりで、日が陰ると少し涼しくなり、日が出るとともかく暑い。絶対にこの気温は体温より高い。熱風をまともに受けるのがつらいのでスカーフで風をよける。水も殆ど底をつく。

チャルビ砂漠は何もない。

砂漠にはやっぱりラクダ
3~4時間走ったろうか。当たりに少し緑が見え始めてくる。マルサビットのオアシスに近づいて来たのだ。標高が上がるにつれ急に空気が涼しくなる。草木が増え,さっきまでの熱気は跡形もない。マルサビットというのは寒い所という意味だそうだ。空気がひんやりしてきて生き返る気がする。

サバンナに生えるアカシア。乾いた赤い土と熱風しかない砂漠に見え始めた緑が心底うれしい。
ドライバーのカルンボが街道をそれて丘を上がって行く。お昼に良い所があるらしい。最後は車は登れないので歩く。がんばって登るといきなり目の前に巨大クレーター、Gof Redo Crater。すばらしい眺めだ。大きすぎてどのくらい深いか見当も付かない。

車はここまで上がって来れないのでカルデラの淵まで歩く。緑の向こうは灼熱のチャルビ砂漠。標高約1400mのマルサビットは,乾ききった広大な砂漠の中に奇跡の様に存在するオアシスらしい。

巨大カルデラ Gof Redo Crater。

巨大カルデラの淵に腰掛けてランチ。風が涼しくて気持ちいい。数時間前までの暑さが嘘のようだ。

カルデラの淵。右側がカルデラの中だ。
ランチの後はクレーターの周りを歩こうかと思っていたら雨が降り出してしまった。なるほど砂漠の中にこれだけの緑があるからには雨も降るはずだ。あきらめて出発。マルサビットの町まで来ると急に人が増えた。人里に来たという感じだ。お店もたくさんあってやっと水を買うことが出来た。5リットルで約120円。それからキャンプサイトへ。
さて、キャンプサイトは森林の中のとてもきれいな所だったが問題点が二つあった。まず水が出ない。当然トイレも流れない。これは夕方には給水車が来てキャンプサイトに水を供給しているタンクに水を入れてくれたので解決。その2。バブーンと言うヒヒがいて、外に出しておいたものは何でも持って行ってしまう。だから絶対にテントを開けておかないこと。だから炊事場けん食事どころも、バブーンに襲われない様に金網が張ってある。つまり檻の中。木の下を歩く時には上にバブーンがいないことを確かめないと糞尿どころか大きな枝まで落とされるので大けがをしかねない。さてうれしいことにシャワーは温水だそうだ。そしてなんと本当に温水が出た!!!!!!

マルサビットのキャンプサイト。おしゃれなあずまやみたいだけど実は金網で囲まれている。バブーンよけだ。

キャンプサイトは深い森の仲にある。
一休みして、ナショナルパークにクレーター湖を見に行く。運が良ければキリンや象も見れるらしい。まあ運が良ければと言うのはたいてい当てにならないが、ゲートを入ってすぐの所にあるクレーター湖は夕方の日射しの中で本当に美しかった。

クレーター湖
この湖のほとりにはロッジがあり、一泊7000円くらい。お湯も出る(らしい)。標高1700mとあったが日が落ちると赤道直下だというのに急に冷え込む。持っていた服を全部着る。でも静かで実に良いところだ。もしまたくる機会があったらここはぜひ泊まってみたい。

クレーター湖の夕暮れ。ロッジからの眺め。

マルサビットロッジの看板。一番上は水牛の頭骸骨だろうか。
遅くなったのでその先のパラダイス湖は翌日にしてキャンプサイトに帰る。戻ると暗がりの中に黒っぽい物体が動いている。バブーンだ。木の上でガサガサ言うので見上げるとそこにもバブーン。食料が炊事場にあるのが分かるので集まって来たらしい。炊事場に入る時には必ず戸をすぐ閉める様に言われた。この日もおいしく食事をして、寝る。
夜中に突然の大雨。あまりの騒音に思わず目が覚める。テントが滝に打たれているような音だ。雨が漏らないか心配だったがどうすることも出来ない。時々小やみになるがすぐに滝のような雨音。こんなに降ったら明日パラダイス湖には行けないかもしれないと心配しつつ結局寝た。
ケニヤ旅はもう少し続きます。是非またしばらくして訪ねて下さい。
- 2014/12/27(土) 00:04:16| . Kenya(2014) ケニヤ旅 | トラックバック:0 | コメント:0
11月2日。マルサビット連泊。

11月2日。キャンプ7日目、マルサビット連泊。
夜中じゅうひどく降り続いた雨は朝には止んだがテントを開けるといちめん霧で真っ白。

霧に包まれた私たちのテント
In the morning after the heavy rain, everywhere was covered with fog.

朝霧の中。金網で囲まれた炊事場兼食事場
Not to be assault by baboon, our kitchen and eating space were in the fence.

キャンプサイトに咲いていた花
昨日の雨でお隣の美保さんたちのテントは雨が浸水しひどいことになっていた。我々の所も少し濡れたが浸水にはいたらなかった。午前中は雨が降ったり止んだり。タンクの水が底をついてキャンプ場の水がいっさい出なくなったが2台目の給水車は結局来なかった。トイレも水汲みもすべてちょっと離れたロッジで。昨日の雨のせいか電気系統も故障。前日奇跡的に使えた温水シャワーももちろん使えない。おまけに美保さんはロッジから戻る途中バブーンが落とした木の枝が頭に当たり大変な災難だった。

キャンプ場にいるバブーンの群れ。地上にも木の中もバブーンだらけ。
This place, everywhere baboons.

キッチンは檻の中

炊事場もダイニングも檻の中。お昼の仕度をするアルフレッド。
午後晴れて来たのでカルンボが一応山の上のパラダイス湖に緒戦してくれたがやはりぬかるみががひどくギブアップ。結局この日はマルサビットの町をちょっと見てキャンプ場に戻った。暗くなってやっと炊事場の電気だけ復活。暗闇の中のヘッドランプでの生活から明かりのある生活に戻った。バッテリーの充電も出来る様になった。夜はバブーンよけのキャンプファイヤーを前にのんびり。
マルサビットは砂漠の中にぽつんとある山岳地域で,上昇気流が発生しやすくそのため霧が発生しやすく雨も多く、故にこれだけの深い森林を保持することが出来るのだそうだ。暑い砂漠を超えた後で涼しいこの地は良い休息日となった。明日はいよいよ野生動物を見られるサンブルへ。
11月3日。キャンプ8日目。マルサビットからサンブルへ。

11月3日。キャンプ8日目。マルサビットからサンブルへ。242km。約6時間の旅。
昨晩もひどく雨が降って、夜中に私たちのテントも雨漏りし始めた。やむなく持って来たゴミ袋を切り開いて大きなシートにして雨漏り箇所に外側から被せた。これでも漏ったらもう出来ることはないなと思いつつ寝たが大丈夫だったようだ。マルサビットは本当に雨が多い。
朝は今までで一番冷え込んで、ズボンもフリースも3枚づつ着た。7時食事、9時少し前に出発。まず町に寄って給油。ここからは東アフリカ縦断道路に沿って南下。

マルサビットの町外れ。寒いので皆たくさん服を着てる。
Marsabit is cold. People wear a lot of clothes.

携帯を見ながら道を行くお姉さん。携帯だけはケニア中どこにでもある。民族服に背中に大きな薪の束を担ぎ、それでもなお携帯のメールを見ながら歩いている人にもいた。People use cell phone everywhere.
マルサビットから東アフリカ縦断道路を南下すると、高度はどんどん下がり、それにつれ気温はぐんぐん上がり、あっと言う間に緑はなくなって赤い砂漠になった。着ていたものを次々に脱いでとうとうTシャツ一枚になる。
この辺りの道は幹線道路なので途中いくつかの検問所があり、ライフルを持った警官が警備していた。フリーパスだったり、止められてドライバーの免許証を求められたり、ガードマンの身元を出身の村まで電話して問い合わせたりしたが、私たちはパスポートの提示を求められることはなかった。さらに南下。暑い。今朝出たばかりのマルサビットが恋しい。本当にマルサビットの緑は偉大だ。

この辺りでマルサビットともお別れ

東アフリカ縦断道路 マルサビットを出ると急に気温が上昇 見る間に緑もなくなった
As leaving Marsabit, the temperature goes quickly, and green disappeared quickly.

街道を行くラクダの群れ 熱風の中でしばし休憩
Camels are also going East Trans african Highway. had a rest in the heat.

ガードマンのフセイン サンブルに着くとと彼とはお別れ
After Samburu, we don't need guardian. The road is very good after Samburu. Cars can go with high speed, no need to worry to be attacked by robbery. Fusein is from Trukana. The company use him to avoid unnecessary conflict with this remoted village. Any way By by Fusein, a nice guy.
突然、カシャンと言う音がして、バラバラとガラスが降って来た。タイヤが石を跳ね上げてそれで最後尾の窓ガラスが割れたのだ。私のすぐ後ろだったが、幸い私は帽子プラス熱風よけにしっかり覆面していたので、ガラスは直接顔には当たらずケガはなかった。辺り一面ガラスだらけになったので、ともかく車から降りて飛び散ったガラスをすべて片付け、また出発。熱風よけの覆面がこんな所で役に立つとは…….です。サンブルの町でガードマンのフセインとはお別れ。彼はこれからバスで彼の村であるトゥルカナに帰る。
私たちは、サンブル国立公園へ。

サンブル国立公園の近くののテーブルマウンテン
We are getting nearer Samburu.
今日と明日はサンブル国立公園内のライオンキングブッシュキャンプという川沿いのキャンプ場に泊まる。その名の通りライオンがいる地区らしい。
公園の入場料は一日大人一人外国人は70ドル。住んでいる人は1000ケニヤシリング(約1200円)ケニア市民は500ケニヤシリング。だいたい料金はこの3種類で、これにそれぞれ子供料金がその半額位だ。国立公園の入場料は比較的高く、小さな所でも外国人は50ドル、大きな所だと100ドルだそうだ。入り口で入場料を払い車で入る。公園内は決められた場所以外は車から降りてはダメ。ここから川沿いの道をキャンプ場まで約30分位。途中道がぬかっていて通れない所もあっていくつか道を変えながら3時半頃にキャンプ場に到着。ここは私たちがツアーを頼んだGametrackersと言う会社が持っているキャンプ場。常設の立派なテントがあり、中には小さいけどなんとベッドまである。

サンブル国立公園の地図。川沿いのライオンキングブッシュキャンプという所に泊まる。 The map of the Samburu National park.

サファリカーは上部が開いてそこから動物を見られる様になっている。

雨で水が流れた跡

雨上がりで空には二重の虹

アカシアの木の下のキャンプサイト Campsite in the park.

Gametrackersの常設のキャンプ場
この後早速サファリへ。でも動物紹介はまとめて明日にします。
夕方このキャンプ場での注意を聞く。夜トイレに行くときは必ず2人で。テントから出たら周りをライトで照らし、人間がいることを動物に知らせる。また一人がトイレに入っているときは必ずもう一人が外でライトを照らしていること。動物はシャイなので人がいることが分かれば近づいてこないが、暗がりでいきなり遭遇すると恐怖心から襲って来ることもある。
また虫が多いので、テントに入るときは入り口でまずライトを一旦消して中に入りチャックを閉めてから中でライトをつける。などなど。
おいしい夕食を食べて、食後にくつろいでいるとライオンの声というか息づかいのようなものがが聞こえた。近くにいるらしい。さすがライオンキングブッシュキャンプという名が付くだけのことはある。でもライオンにとって人間は食べ物ではないので脅かさなければ襲うことはないそうだ。何しろまずい人間なんて食べなくてもおいしいシマウマがたくさんいるのだから。
明日は一日サファリ三昧。それではまた明日。
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11月4日。キャンプ9日目。サンブル連泊。

11月4日。キャンプ9日目。サンブル連泊。
この日予定は朝サファリ、午前サンブル部落訪問、道々サファリ、夕方サファリとサファリ三昧。朝6時に起き、6時半出発。
Morning, Safari, daytime visit Samburu village, evening safari again.

朝焼けの中のyellow-billed Hornbill
朝焼けの中のサバンナの景色はすばらしかったし,次々と現れる動物たちに目を奪われ、夢中でシャッターを切った。

インパラです。横から見ると体の色が上から、濃いめの茶色、ちょっと薄めの茶色、そしてお腹に近い部分が白っぽい茶色と三色になっているのが特徴だそうです。

つぶらな瞳のゲレヌク。二本の後ろ足で立ち上がってキリンの次に高い所にある葉っぱを食べることが出来るそうです。

サバンナにいるインパラと鳥の巣のあるアカシアの木

オリックスです。

これもオリックスです。

キリンです

岩場にいるキリンとインパラ

ダチョウのカップル。黒い方がオスです。

トムソンガゼル。 鹿のようですが牛の仲間だそうです

木陰でくつろぐチーター。この後すぐ、とんでもないサファリカーがチーターのすぐそばを走ってチーターを追い払ってしまった。

別の場所で。チーターの親子の写真を撮ろうと群がるサファリカー

車のすぐ横を行くライオン
約2時間ほど動物探しをして、一旦キャンプに戻り朝食。休憩してからサンブルの村の見学に。見学料一人2000ケニヤシリング、約2400円。
村長さんが出て来て村を案内してくれる。まずサンブルの若者がやるゲーム。次いでサンブルの若者たちの歓迎の歌と踊り。次に女性たちの歓迎の歌と踊り。それが済むと女性たちが手を引いて客人を村に入れてくれる。

戦士服を着てゲームをするサンブル戦士。

サンブル族の出迎えの踊り。若者たちが歌いながらつぎつぎにジャンプして見せる。

サンブル族の出迎えの踊り。一人づつ女性の手を取り客人も招き入れて輪になって踊る。

サンブル族の女性たちの出迎えの儀式。
サンブルの若者は14才(?)から18才までをサンブル戦士といい、独特の衣装を着て,髪をのばして小豆色っぽく染めきれいに整え,人によっては羽飾りをつけたりする。もちろん自分を魅力的に見せるためだそうだ。この旅のあちこちで美しく着飾ったサンブル戦士たちを見た。もちろん何かの儀式のために着るのではなく日常の服装だそうだ。彼らの仕事は村を守り家畜の番をすること。女性たちはプレゼントされたネックレスを山の様に付け、結婚するとシンプルなもの一つにする。サンブル族の家の中はきれいに片付いていて、居間や台所ベッドルームと分かれている。

サンブル族の家の中で。村長さんと。
村には小さい子たちの学校があり、サンブル語と英語で歌を歌ってくれた。寄宿学校に行かれない子たちはそこで勉強するのだと言う。寄宿学校の費用は年間7000ケニヤシリング、約8400円。現金収入の少ない遊牧民にとっては大金だ。
村長さんはナイロビの大学を出て、とても上手な英語を話す。説明もとても上手で面白い。サンブル族の男は4人妻を持てるが、一人目の妻の許しがなければ2人目の妻は持てない。3人めの妻が欲しければ第一、第二婦人の許可が。もちろん第4婦人は第一、第二,第三婦人のお許しがいる。それぞれの婦人は自分で(手作りで)家を建て別々に住む。男はすべての婦人の家を均等にまわりすべて均等に扱わなければならない。そうしないと長老会にかけられてしまうとか。罰金は牛一頭。ヤギなら10頭。最もケニヤでは法律で妻は4人まで持つことが出来るそうだが、複数の妻を持つ人には会わなかった。
最後に木の棒と板を使って火をおこしてみせてくれた。着火用に使うのは象の糞だそうだ。木の棒をこすり、あっと言う間に火を起こした。見事なものだ。
一通り見学が終わると、さっきまで何もなかった広場にいちめんいろいろな土産物が広げられていた。ビーズ編みのネックレスを一つだけ買った。
、

木をこすって火をおこしている。象の糞はとても良く火が付くそうだ。

目の前を横切って行くグレービーゼブラ。普通のシマウマより縞が細かく、大きく体形は馬に近い。とてもおいしいらしくライオンの大好物で、ライオンはこればかり狙うらしい。

象の家族。
キャンプサイトに着くとすぐ昼食。夕方のサファリまでは特にすることもないのでシャワーに挑戦。昼間ならタンクの水も少しはぬるいのではと思ったのだが、あまりの冷たさにお湯をバケツ一杯もらう。幸い熱湯をもらえたので、これに水を足しながらなんとか髪と体も洗う。
夕方5時頃再びサファリに。この時間はもう涼しくて気持ちがいい。1時間位いていろいろな動物を見て帰った。

象の親子。夕日の中で。

夕暮れのサバンナ。遠くに微かに見える高い山がケニヤ山らしい。
夕食後、ランプを囲んでしばし歓談。今日でキャンプ最後の夜だ。長いようであっという間だったが、一方でナイロビを発ったのはもう遥か昔のことのような気がした。明日でこのたびも終わりかと思うと感慨深い。一方でやっと熱いシャワーを使えるのが待ち遠しくもあった。

ランプを囲んでしばし歓談。今日でキャンプ最後の夜だ
- 2015/01/27(火) 22:45:53| . Kenya(2014) ケニヤ旅 | トラックバック:0 | コメント:0
11月5日 ツアー最終日。サンブルからナイロビへ。366km。約6時間半の旅。

11月5日 ツアー最終日。サンブルからナイロビへ。366km。約6時間半の旅。
鳥の声で目覚めると、キャンプサイトの真ん中にある大きなアカシアの木に沢山の鳥が来ていた。ウィーバーバードだ。蛇などに襲われないよう、入り口が下を向いた独特の形の巣を作る。

巣作りに励むウイーバーバード。これはオスです。Weaver Bird ♂

こちらはメスです。Weaver Bird ♀

完成した巣。カップルで,何もない所にこんなに立派な巣を作ってしまうのです。

キャンプ場のダイニングスペースの屋根の上の巣。いろいろな木に付いている固まりのような物は皆鳥の巣です。

お弁当のサンドイッチを作るアルフレッドとカルンボ。今日でツアーも終わるので本当に2人ともうれしそうだった。
Alfred, Karumbo looked happy because today is the last day of this long and hard trip for them. Of course it was perfect for us.
今日はサンブルからナイロビまで366km。約6時間半の旅。
9時出発。約1時間くらい動物を見ていよいよサンブル国立公園を離れ東アフリカ縦断道路に戻る。ここからは一気に南下し、ケニヤ山の西をまわってナイロビまで。

朝のサファリに行くツーリストたちの車。この時間はラッシュアワーだ。
Morning rush hour time in the Samburu park.

東アフリカ縦断道路の街道沿いの村
Village along the East Trans-African Road.

牛を追うサンブル族の女性たち。この華やかな衣装は彼らの普段着だ。
Ladies of Samburu taking care of their cattle. Wearing their daily clothes.

道を行くサンブル族の女性。頭の飾りが美しい。
Samburu Ladies. They walk whenever they go anywhere.
サンブルからは道も広くきれいに舗装されているので,車もスピードが出せ、おかげでナイロビーサンブルは日帰りも出来る様になったとか。道路が良くなることはもちろん時間短縮になるがそれだけでなく、沿道で盗賊に襲われる危険性もぐっと減るのだそうだ。だから今はもうこの間はガードマンは必要ないと。
ここで今回のツアーの地図をもう一回紹介します。ツアーはケニアのほぼ中央をトゥルカナまで北上。砂漠地帯を抜け緑のマルサビットや様々な動物が見られるサンブル、そしてナイロビに戻ってくるというもの。

ケニアとその周辺国の地図。青が今回のツアーのルート。約1800km+αです。 Blue is our tour rout

こちらは最終日の行程。サンブルから、赤道を超え、ケニヤ山の西をまわってナイロビに行きます。
きれいな舗装道路を快適に飛ばしていくとやがて遥か遠くに真っ白いをかぶったケニア山が見えてくる。 5199m。ケニア最高峰。アフリカでもキリマンジャロに次ぐ第2の高さを誇る。

ケニア最高峰 ケニア山。ニャニュキ付近より。Mt Kenya.

ケニア山の峰々。この後すぐ雲に覆われてしまった。
ケニア山の登山基地であるニャニュキを過ぎると赤道を超えて南半球に入る。赤道記念碑の所で昼食。土産物店がいくつかあったがしまっている所が多く何となく閑散としていた。ケニアはいろいろ問題があってから観光客はめっきり減ってしまったそうだ。

赤道を示す看板。この写真の左手の大きな木下の休憩所でお昼。木下の黒い人影はとしさんと秀人とバート。日陰に入るとちょっと肌寒いくらいだ。昼食を終えてさらに南下。ナイロビはまだまだだ。

道ばたの売店。ナイロビに近づくと緑が増え,沿道の売店ではたくさんの野菜や果物が売られている。北部の砂漠とは比べようもないくらい豊かだ

デルモンテ社のパイナップル畑。デルモンテ社産のパイナップルはすべてここケニアで生産されている。Pinapple field for Del monte
実はブルックボンド社のお茶もすべてケニア産。そしてケニアのコーヒーの輸出量は世界一だそうだ。

ナイロビに入ったとたん大渋滞。 Traffic jam in Nairobi
ナイロビに入った頃はまだ明るかったのに、迂回路やらショートカットやら、いろいろ通ったけど、結局ホテルに着いたのは日もとっぷり暮れた7時過ぎだった。心配したホテルから電話があったほどだ。

ツアーが終わって ホテル前で記念写真。In front of the hotel
本当にすばらしい10日間だった。後で聞いたが、カルンボはこの後しばらくは近場のツアーに回してもらったそうだ。確かに,常に緊張を伴う検問所をいくつも通り、一人で2000km近く運転したのだからもうへとへとで当然だったろう。
さてこれでめでたしめでたしのはずだったが、遅く着いたせいか頼んでおいた私たちの部屋はなく、別館に案内された。びっくりするほど広くて立派な部屋だったが、肝心のお湯が出ない。部屋の電気も半分は点かない。標高1700mのナイロビは夜は冷える。とても水のシャワーなど使えない。ちょうどマネージャーのグレイスがいたので、なんとかして欲しいと頼む。彼女は絶対に出る様にすると言ったので、途中のスーパーで買って来た物で簡単に晩ご飯を食べて待つが結局お湯はでない。あまりに疲れていたのでもう文句を言う気力もなく、夢にまで見たお湯のシャワーはあきらめてそのまま寝た。
長い間読んで下さってありがとうございます。実はこのケニアツアーはまだもう少し続くのですが、ナイロビ編と、その後のクレーター湖の旅はまた後ほど。お疲れさまでした。
- 2015/02/01(日) 22:41:42| . Kenya(2014) ケニヤ旅 | トラックバック:0 | コメント:0
11月6日~8日 ナイロビ。

11月6日~8日 ナイロビ。
キャンプツアーから帰って翌日はまずホテルへの苦情から始まる。マネージャーに電話したけどつながらない。仕方が無いからメールで延々と苦情を言う。あれほど念を押したのにお湯が出ない。電気が一部しか点かない。蚊帳がない。ともかくシャワーを使いたいので、たった今お湯の出る部屋を探して欲しいと言ったら10分ほどで容易が出来たと呼びに来てくれた。新館の3階のドミトリーのシャワーだったが、それこそ溢れるほど熱いお湯が出た。いつお湯が出なくなるか心配しないでシャワーを使ったのは始めてだった。実に幸せ。やっぱり湯のない所では暮らせないとつくづく思った。
この日は洗濯やらに荷物整理やらで一日のんびり過ごし、翌日は町のスーパに行ったり写真の整理をしたりやはりだらだら過ごし、よく土曜日は俊さんが、お土産物屋さんやらいろいろな所に連れて行ってくれた。夕方はこの日のハイライトのナイロビ国立公園のサファリだ。ここは大きな木があまりないのでとても見通しがいい。それにナイロビ市内にあるので、広々とした草原の向こうにナイロビの高層ビル街が見える。何とも不思議な風景。キリン、シマウマ、エランド、インパラ、ダチョウ。カバにカワセミも見た。真っ赤な夕日を浴びたエランドやインパラが実にきれいだった。

シマウマです。ここのシマウマは普通のシマウマなので縞が荒く、小ぶりでお腹が丸まるとしている。ロバに近い体型。

キリンです。多分マサイキリン。この他に足の白いロスチャイルドキリンもいる。

ダチョウとキリン。後ろはナイロビの高層ビルです。

ちょっと悩ましい顔のキリンさん

ダチョウの子供たち

インパラです

公園のレンジャーです。この後カバを見に連れて行ってくれました。

カバです。 水に入っているので目と鼻しか見えません。

Hartebeestです。このハート型した角とやけに小さい目が何とも愛らしくて気に入りました。

エランドです。結構大きいです。

エランドです。戦っているのか遊んでいるのか。

としさんの家でお蕎麦をごちそうになりましたそばつゆもあって(韓国製だそうです。)実においしかったです。
明日は2泊3日でクレーター湖に行きます。クレーター湖で私たちのケニヤの旅も終わりです。もう少しだけ、また訪ねて下さい。
11月9~11日 クレーター湖を訪ねる


クレーター湖地図
ナイロビ北西部、ナイバシャ湖の近くにあるクレーター湖を訪ねた。湖畔にこじんまりしたロッジがあり様々な鳥が見られると言うのでケニア最後の訪問地としてここを選んだ。ナイロビから北上。ナイバシャ湖畔の西を行く。砂埃の中を進んで行くとクレーター湖自然公園の入り口があり、さらにすすむとロッジのゲートに着く。ここで車を降りて、ゲートを抜けて小道を行くと真下にこじんまりとした湖が見えた。長い階段をずっと下りて行くと湖畔のオープンレストラン。さらに進むとテントスタイルの部屋が並んでいた。テントの中には部屋一杯に大きなベッドが一つ。部屋の奥のスペースにはなんと湯沸かし器があり紅茶、コーヒー、ビスケットまであった。

ロッジの部屋

テントの中は大きなベッドが一つだけ。
一休みして外に出るとこのロッジ特有の白黒の長い毛の猿がそこかしこにいた。

シロクロコロブスというここの名物の猿です。
早速,クレーターの淵まで登ってみた。ちょうど日が射して、足下にこじんまりしたクレーター湖がとても美しかった。クレーターは淵にそって一周歩くことができるようになていて、淵にそって歩いていくと,クレーターの全貌が見えて来た。

湖を見下ろす崖に登る途中,振り返って湖を見る。中央の木立の中に見え隠れする屋根がこの日泊まったロッジです。

クレーターの淵まで登ると、クレーター湖を一望することが出来た。

クレーターの淵からクレーター全体を望む。と奥に白っぽく光っているのが湖。

クレーター湖。ロッジのゲートまで戻り反対側を登って小高い丘まで来るとと、クレーターの全貌を湖側から見ることが出来た。右奥はナイバシャ湖。左はじ、湖畔に見える四角いのはロッジの屋根。

ロッジのレストラン。翌朝は、湖畔のオープンレストランで朝食をとる。

湖に定住しているフラミンゴ

パープル グレナ デアー。日本語の名前はムラサキトキワスズメここにはそこかしこに派手な色の鳥がいる。

ラブバード。ボタンインコ。とっても小さい鳥です。どっちの名前がいいでしょうか。
3日目の昼過ぎにはクレーター湖を発ち帰路につく。途中バラを栽培する温室が何キロも並んでいた。ナイバシャ湖はアフリカ大地溝帯の中では珍しく淡水湖。そのため農業が盛んで、特に温室栽培のバラは有名。海外に大量に輸出しているそうで、ケニアの大切な輸出品目の一つ。湖畔にはバラ農園で働く人のために村が出来、学校が建ち、マーケットが出来ていた。

バラを栽培する温室。紫の花はもちろんジャカランダです。ケニアのジャカランダはマダガスカルのよりずっと背が高く大きい物が多かったです。この木などは小振りな方。
さて、ナイロビ市外は相変わらずの混雑ぶりでしたがなんとかホテル着。しかし、以前と同じ部屋なのに、まさかと思ったがまたもやお湯が出ない。もう言っても無駄なのでお湯をもらってその日は寝ることにした。
11月9~11日 クレーター湖を訪ねる。12日帰国
11月12日ケニヤ最後の日 そして帰国

11月12日ケニヤ最後の日。まずトゥルカナツアーを企画してくれたGametrackersの事務所にStaceyさんを訪ねる。彼女とはツアーのことでそれこそ20通位メールのやり取りをし、細かい希望を聞いてもらいました。それから俊さんが中華のレストランに連れて行ってくれました。安くてとてもおいしかった。これでケニアもおしまい。翌日は朝早く発ちマダガスカルへ。一泊してバンコク経由で帰国。日本を出て一ヶ月半。長いようであっという間の旅でした。あちこち案内してくれた俊さん本当にありがとうございました。そして一緒に旅をしてくれた美保さんとバート、おかげさまで楽しい旅でした。そしてここまで長々と読んでくれた方々にも感謝です。また次回の旅日記でお会いしたいと思います。