_dsc0168.jpgインカの親子 ピサックにて _dsc0157-0.jpgピサックの村祭り _dsc7158.jpgピサックの村祭り _dsc0190.jpgピサックの村祭り
ペルーにて・ピサック
 

 ペルー、ボリビアを訪れたのは2008年7月から8月。初めての南米である。
延々30時間かけてリマ着。3日ほどリマで休憩し空路、3399mのクスコへ。すり鉢の底に広がる美しいクスコの街を楽しむ間もなく、高山病の頭痛。高度順化のためクスコより標高の低いピサックに。ちょうどお祭りの最中。ペルーはマリア信仰が盛んで、この時期あちこちの村で聖マリアをまつる祭りがある。村にはたくさんの市が立ち、広場では華やかな衣装を着けた人々の芝居や踊りが次々と披露。いつもは静かな村が、祭りの興奮でいっぱいになっていた。
                                    みどり

 

 
 

_dsc7325817c82o.jpg遺跡の上にいるのはみどり。 _dsc7289.jpgモライの円形階段畑
ピサックの遺跡にて

 
 ピサックの遺跡。下を流れるのはウルバンバ河、アマゾンの源流の一つ。遺跡の上にいるのはみどり。
 ピサックには、村を見下ろす丘の上に点々とインカの遺跡がある。一日かけてそれらを訪ねて歩くともうすっかり気分はインカだった。

 
         みどり
 

 
 

_dsc8016-1.jpg・・・・山を望む _dsc8154.jpg2222
マチュピチュにて

 
聖なる谷でほぼ一週間かけて高度順化し、いよいよマチュピチュへ。
 早朝まだ日が昇らないうちにバス乗り場に行くがすでにものすごい人の数。なかなか列の最後尾につかない。空には満点の星。飲み物や朝食売りが来る。バスが次々と人を運んでいくが、ありったけのバスが出払ってもまだ私たちの番にはならない。初めに客を乗せてでたバスが帰ってきてやっと出発。あこがれの遺跡に、何とか日の出前に着く。ご来光。最初の一筋の光が遺跡に指すと観光客から感嘆の声が上がった。やっぱりマチュピチはいい。あれほどの人が入っているはずなのに、混んだ感じはしない。やはり遺跡が広いからだろう。

 
         みどり
 

 
 

_dsc8292.jpgこの道の先がインティプンク _dsc8294.jpgインティプンク
インティブンクにて

 
  一日中遺跡を歩き、ブラブラと、かの有名なインカの橋も見に行く。ワイナピチュにも登ってみたかったが、一日の入場制限があり、整理券を手に入れるには、あと一時間早く遺跡に駆けつけないとだめ。あきらめて、翌日は反対側のインティプンクに。この遺跡のほうがワイナピチュより少し標高が高い。石づくりの立派なインカ道を歩く道々振り返ると、だんだん遠くにマチュピチュの遺跡が見えるようになる。クスコから歩いて来ると、ここインティプンクの峠で初めてマチュピチュの遺跡を遠くに見ることができる。その旅人達が、達成した苦しかった旅を思い、涙を流し喜び合っていた。彼らの感動やどれほどかと思う。

 
         みどり
 

 
 

_dsc7662.jpgマラスの塩田 _dsc7671.jpgマラスの塩田 _dsc7666.jpg
インカ聖なる谷・マラスの塩田

 
 マチュピチを発ち、聖なる谷でさらに数泊してクスコへ。初めよりは高山病は少し楽だがやはりつらい。コカ茶に砂糖を入れて頭痛薬を飲むとよく効く。
聖なる谷,マラスの塩田

 
         みどり
 

 
 

_dsc7629.jpgモライの草原にて 穀物を収穫する人々
インカ聖なる谷・マラスの塩田

 
 マチュピチを発ち、聖なる谷でさらに数泊してクスコへ。初めよりは高山病は少し楽だがやはりつらい。コカ茶に砂糖を入れて頭痛薬を飲むとよく効く。
聖なる谷,マラスの塩田

 
         みどり
 

 
 

_dsc1004.jpgクスコの街並み _dsc0990.jpg _dsc1000-0.jpg
クスコ

 
 クスコの街は中心に広場があり、その周りに、かのインカの石組みの上に作られたという教会や博物館。大小様々なみやげ物屋やホテルにレストラン。こじんまりとした美しい街だ。少し高台に上ると、赤瓦の屋根の街並みが一望できる。

         みどり
 

 
 

_dsc8834.jpgシュスタニ遺跡 _dsc0263.jpgシュスタニ遺跡の少女達
シュスタニ遺跡

 
標高4000mに建つ墳墓。歴史はいろいろあるらしいが、残っているものは大小の石積みの墓、聞こえるのは風の音だけで静寂そのもの。遺跡に立つと眼下に鏡のようなウマヨ湖が見下ろせる。夕方の光の中、木々の影が湖面に長く伸び実に美しい。民族衣装を着た少女たちが一塊の羊毛から器用に糸を紡ぎながら通りかかる。写真を撮るとちょっとはにかんだ顔がまた愛らしい。
 あすはいよいよチチカカ湖を後にボリビアだ。

         みどり
 

 
 

_dsc9183-1.jpgイリマニ山 6439m _dsc9188.jpg4000mの高原を行く親子 後ろはウアイナポトシ山 _dsc9192-320.jpg夕闇迫るラパス 後ろはイリマニ山
ボリビア・ラパス

 
 3855mのプーノからチチカカ湖の南岸を通ってボリビアへ。標高はさらに少しずつ上がる。昼過ぎ国境着。長蛇の列に唖然。待つよりほかに手なし。それでも2時間ぐらいで手続き終了。台車に荷物を載せて徒歩で国境を超える。ここでボリビア側の車に乗り換え、途中ティワナク遺跡を訪ねて一路ラパスへ。ほとんど生き物の気配のない荒涼とした大地。もう何時間も富士山より高いところを走っているのだ。標高6000mを越す雪山が、手が届きそうなくらい近くに見える。 夕方日が暮れるころにようやく、地平線にポツポツと人家の明かりが見えてきた。ラパスだ。車は明かりに向かって進む。正面に6,439mのイリマニ山が見える。ラパスっ子にとってこの山は富士山のようなものだとか。しばらくして車が止まった。
この平原とイリマニ山との間の谷底にラパスがある。
 ドライバーが降りてみろと合図する。車は巨大なすり鉢の淵に。その淵に立って中を覗き込んで、思わず息をのんだ。そこはまるで、隅から隅まで隙間なくぎっしりとおもちゃの家やビルを詰め込んだようだった。夕方、家々もビルも明かりをともし始め、まさに宝石箱をひっくり返したごとく。これがラパスか。街は盆地のくぼみの中にあるので遠くからはほとんど見えない。このふちに立って初めていきなり全容が見える。標高3650m、世界で最も高地にある首都ラパスはこうしていきなり姿を現した。ラパスは大都会だった。
谷のふちに立つと初めて眼下にラパスの町が見える。
 ラパスではちょっとした問題があった。ラパスからウユニへの出発予定日の前後が独立記念日と大統領の信任投票日。なにがまずいのかと言うと、この日はラパスのすべての交通機関は休み。バスも車も飛行機もすべて。従って、これらの日を避けて出発し、ウユニからの週2便の帰りの飛行機が取れるように計画を立て直さなければならない。すべてを2日遅くしてなんとか手配できた。こうして一路あこがれのウユニ塩湖へ。

         みどり
 

 
 

_dsc0397.jpgウユニ塩湖畔の塩のホテル _dsc0410.jpg塩のホテル
ウユニ塩湖・塩のホテル

 
 ウユニでは、湖畔にある、塩で出来たホテルに泊まる。椅子もテーブルも、ベッドも、もちろん壁も床もバスルームも暖炉まで塩。塩の塊を切り出して、ブロックにして建築材として使用。窓からは塩湖が一望でき、なかなか趣がある。
塩のホテルは椅子もテーブルも暖炉も塩で出来ている。
塩湖を望むレストラン。テーブルクロスの下はやっぱり塩
 さて夜半、何やら部屋の外で人声がする。地面は細かい塩粒が敷き詰めてあるので歩くとザクザク音がする。初めは酔っ払いが月見をしゃれ込んでいるのかと思った。確かに月明かりの塩湖はきっと美しいだろう。でも外は絶対氷点下。この寒いのにね~。それにしても人声も人の行き来する音も何やら慌ただしい。不審に思って窓際に行きカーテンを開けると、なんとホテルの隣の棟がちろちろ燃えているではないか。数人があわただしく、カーテンやら、シーツやら可燃物を運び出し、わら屋根を棒でたたいて火を消そうとしていた。湖と言ってもすべて塩。水など一滴もない。火を消そうにも塩粒をかけるか箒で叩くぐらいしか手立てはない。もっとも、家も塩で出来ているので、燃えるものもさしてない。だから大きくは燃え上がらないけれど消すこともできない。それにしても、自分の部屋から数mのところで火事が起きているのに、全く気づかずに寝ていたとは。きっとスペイン語がわかれば「火事だ~」ぐらい言っていたのかもしれない。
 
 そうこうするうちにドアがノックされ、一応避難すると告げられた。廊下に出るとすごい煙。ロビーで待機するが、結局野中の一軒家というか、塩湖のほとりの一軒家。行くところもなく、移動手段もない。(宿泊客は、ドライバーが車でここに届けてみなウユニの町に引き上げてしまうのだ。)寒くて外では過ごせない。で、まあ、自己責任で、燃えなかった部屋の人は戻って休んでよいことになった。部屋に戻るといつの間にか煙が充満。かなりつらいが何とか朝まで過ごした。翌朝食堂に行くと、真っ赤な目をしたオーナーの奥さんがパンとお茶を出してくれた。火は治まったがもうしばらくホテルは使えない。予約はすべてキャンセル。私たちも初めの予定通りに行っていれば何事もなくここを過ぎていたのだ。もしそうならきっと火事があったことを知ることもなくこの国を出ただろう。
 
 10時過ぎにドライバー着。予定通りボリビア南部、砂漠と火山と湖をめぐる旅に出た。

 
みどり
 

 
 

_dsc0064.jpgウユニ塩湖 _dsc0184.jpg塩のブロックの切り出し場 _dsc0166.jpgウユニ塩湖 _dsc0190202.jpgウユニの夕暮れ _dsc0203.jpgウユニ塩湖の日没 _dsc0076.jpgシュスタニ遺跡の少女達 _dsc0039.jpg _dsc0093.jpg
ウイニ塩湖横断

 
 ウユニ塩湖は標高3740m、四国の半分ほどの広さ。その広大な湖面はすべて塩。表面に亀の甲羅のような模様をつけて、真っ白に輝く。何キロも続く塩で出来た湖面を車でどこまでも行く。水はなくても湖なのでところどころに島はある。木は一本もなく、生えているのは極寒の地だというのに巨大サボテン。古いものは齢千年とか。島に上陸し、サボテンの間を縫って高台まで上ると、360度すべて海...ではなく真っ白に輝く塩原。はるか遠くに青く山並みが見える。島では、昔ここが海だった名残りの珊瑚の塊をいくつも見た。
塩のブロックの採掘場。大事な建築用材だ。
ドライバーに頼んで塩湖で夕日を見る。夕方になると気温は急激に下がる。遠くの雲が赤く染まり、塩原が赤く染まり、そこに自分の影が長く、長く伸びる。死ぬほど寒かったが実に美しかった。湖畔の避難小屋泊。

みどり
 

 
 

_dsc9541.jpgラグーナ エディオンダ
_dsc9510.jpgフラミンゴの群れ ラグーナ エディオンダにて _dsc9540.jpgフラミンゴの群れ ラグーナ エディオンダにて _dsc9551.jpgフラミンゴの群れ ラグーナ エディオンダにて _dsc9660.jpg温泉に集まるリャマ _dsc9706.jpgチリ国境付近の火山 _dsc0343-1.jpgロックツリー
ラグーン・ロックツリー

 
 翌日はさらに南下。標高はさらに徐々に上がる。どこまで行っても赤いラテライトの乾燥した大地だ。草も木もない。対向車が来るとはるか遠くからまず砂煙が見える。それから車が見えてくるのにしばらくかかり、実際にすれ違うのはそれこそ30分もたってからだろうか。あまりに広くて距離感がわからない。
 しばらく行くとはるか遠く、赤い大地の中に白っぽい線が見えてくる。近づくとラグーナだ。赤い砂漠の中に点々といくつかのラグーナと呼ばれる湖がある。浅いがどれも澄んだ水をたたえ、無数のフラミンゴが群れ、うるさいほどだ。ラグーナは、赤、白、緑といろいろあり、それぞれ水の色がはっきり違う。湖岸は白っぽい結晶が析出している。塩かと思ったがホウ素の化合物らしい。この色がラグーナの色を一層引き立てている。
 
ラグーナ カニャペ 無数のフラミンゴが群れ飛ぶ。この湖のほとりでランチ
 ラグーナを後に再び赤い大地を走る。ロックツリーが現れる。この辺りはこうした奇岩が砂からたくさん生えていて、実に面白い。いくら見ても飽きないが、日暮れ前に宿に着かないといけない。この日は赤いラグーナの湖畔の避難小屋泊。夕方湖畔を散歩したが、日が傾くに連れて地面も湖面もがどんどん凍って真っ白になっていくのがわかった。夜、外気はマイナス25度くらいに下がる。ありったけのホカロンを寝床に敷き、ありったけの毛布をかぶったが、あまり暖かくはならなかった。
 翌日赤いラグーナ湖畔の展望台に行く。キラキラ輝く湖面にフラミンゴが体を寄せ合ってじっとしている。気温が上がってくると少しづつ動き始める。フラミンゴの赤は赤い藻を食べるからだそうだ。ラグーナの一角に温泉のわき出るところがある。そこは他より水温が高いので藻が生えている。それを求めてリャマがやってくる。気温は低いので白い湯気が立ち、何とも幻想的。標高4300mの世界だ。
 
赤いラグーナ湖畔
展望台より赤いラグーナ。点のように見えるのはフラミンゴの群れ
 この日はさらに南下。標高は5000m近いのだろうか。赤い砂。噴煙を上げる火山。間欠泉。奇妙な岩の群れ。この世のものとは思えない世界をひたすら走り、チリ国境付近の緑のラグーナまで行く。その後2日かけてウユニに戻った。
ウユニからは空路ラパスへ。さてウユニの空港は滑走路が未舗装。空港には施設は何もなく、車で飛行機の横まで乗り付ける。茅葺の仮小屋で搭乗手続きをし、自分で荷物を持って搭乗。こんな標高の高いところで離陸するのは空気が薄いので大変なのだそうだ。それでも何事もなく、機はものすごい砂埃をたてて離陸。窓から、塩湖やら、雪山を見ながら、途中乗継で無事ラパス帰着。
 その後、ラパスからリマに飛び、ペルー北部、ナスカを見て再びリマへ。
 
 今回の旅は正直言ってかなり疲れた。海外に来て初めて日本食を食べたいと思った。というより最後にリマに戻ったときはもうに本食以外食べたくないという感じ。ホテルの近くのペルー人経営のすし屋に入る。握りは種類も少なく変わり映えしないが、巻物は独特。海苔はあまり人気がないらしく、胡麻などをまわりにまぶしてある。えび天が中に入っていたりする。人気があるのはすしの天ぷららしい。鉄火まきや、いろいろな巻物に天ぷらの衣をつけて油であげてある。刺身などは、きれいにマヨネーズで網目模様を付けてトッピングしてあった。食の楽しみ方はいろいろだ。
 
 リマで3日ほどブラブラし、アメリカで友人の家を訪ね,帰国。45日間のの実に充実した旅だった。

みどり
 

 
 

油彩画
Oil Painting

 
・・・・・・・・・・・・・
個展予定
2019/6/4[火]〜6/10[月]
 横浜 そごう6階美術画廊
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

みどり旅日記
Midori Diary